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未発表曲やボツになった音楽達。 [ishii]

昔遊びで作りました。



昨日 [ishii]

昨日髪を切りに行きました。
いつも切ってくれているお兄さんではなく新しい人に切ってもらいました。
内心不安だったけど、こんな感じになりました
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花粉症 [ishii]

花粉症になって何年の月日が経ったのだろう。
毎年今年は凄いとニュースでやってるけど、今年はマジやばい。
オレはスギ花粉なんだけど、鼻水、くしゃみ、頭痛、目はかゆい。
薬が効く時はいいけど、効かない時は本当に辛いものです。
そんな感じで全国の花粉症の皆さん頑張って下さい。

リハスタ。 [ishii]

楽曲が生まれる瞬間。
しかし、これもボツりました。
いつかまた完成させたいなー。

洋服。 [ishii]

思わず衝動買いしてしまった。[指でOK]
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ドトールにて。 [ishii]

いつも来ているドトールでコーヒーを飲んでいます。
タバコが吸えるカフェなどほとんど皆無です。
誰かなんとかしてくれよ。コーヒーと言ったらタバコでしょ!(苦笑)
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朝倉セッション。 [ishii]

こんな曲もありました。ライブで一回だけプレイしてボツりました。



ドライフルーツ [ishii]

この曲も古くからあり、朝倉君がプロデュースしたものです。

東京 (続編)(番外編) [ishii]

唐突に始まるが、そうそう、アメリカはテキサスのオースティンのホテルでやっちゃいました。何をしたかというと、オレとシューへイ君が同じ部屋で洗濯をしているときだった。イシイ君この洗濯物ちょっとそっちにかけてと言われ、何も考えていないオレは火災用のスプリンクラーに洗濯物をかけたら、カチャという音がして、その後大変な騒ぎになる。もの凄い水が勢いよく部屋を襲ってくるじゃありませんか。シューへイ君に言われ早く荷物を外に出して!と言われせっせっと荷物を廊下に出した。部屋に戻ると大洪水の中シューへイ君が椅子に立って、そのスプリンクラーを指で押さえていた。火災警報機が四つ打ちでブンブン鳴っていた。オレはすぐさまヨネちゃんの部屋に行き、どうしたイシイ君濡れねずみになっているぞと言われた。部屋には高野くん、朝倉くん、ヨネちゃんが警報機に合わせてベースの音や、いろんな楽器を口で演奏していた。オレは事情を話すとみんなでオレたちの部屋に来た。あちゃーとか言いながらヨネちゃん以外はオレ知らんよとさっさっと部屋に帰って行った。その間もシューへイ君は着ていたスウェットのズボンが半分以上下げながら、相変わらずスプリンクラーの水に抵抗している。凄いパワーだった。結果水は治まったが、もう床が20~30センチ浸水。オレはマネジャーのところに行くと、どうやら保険がかけてあるから大丈夫のこと。総額1500万円の被害だったらしい。ちょっとした伝説になった。(笑)

このマイリトルガールは朝倉くんのプロディースで録ったもの。
質感はこっちの方が好みだなー!リリースされた方はギターが小さいし軽すぎる。

友達の選挙事務所にて。 [ishii]

友達が4月に行われる名古屋市議会の選挙に立候補するため、選挙事務所に遊びに来ました。
いろいろ大変そうですが、ドーナッツを食べながらくだらない話をしています。
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東京 (続編)(バンドなのかソロなのか その2) [ishii]

こうやって過去を思い出しながら文書を書くのはとてもエネルギーがいる。
別に過去にしがみつきたいわけでもなく、誰かに対して誹謗中傷したいわけでもない。
これはオレが生きてきて、現実に起きた出来事を、オレというひとりの人間のフィルターのを通して書かれている。
楽しかった事、嬉しかった事、面白かった事。ムカついた事、悲しかった事、悔しかった事。これも当たり前だがオレという人間が持つ感情と感覚の断片。オレはけっして文書が上手いわけでもなくふざけた野郎だ。この文書によっては賛否両論あるかもしれないけど別にどうでもいい。大人ぶって自分を押し殺して生きるのか、それとも不器用ながらも自分を信じてもがきながら生きるのか、答えは死ぬまでわからない。

このBlogというツールで昔作った未発表音源を(正直恥ずかしい)アップしだしたのが始まり。その時色々と思い出し書き始めた。それが、こんなこともあったなー、あんなこともあったなーと書いているだけである。

話の続きだが、ミティーングを事務所で何度もやったんだけど、オレが鬱憤も溜まり、いつもひとり独壇場であーだこーだと言っていた。メンバーも事務所の社長もそうとう困っていた。ある日なんかのイベントに出て打ち上げがあった。マネージャーが交代しますとのことだった。当時のマネージャーは日本特有の酒飲んで交友を深めていくタイプでオレとはセンスも性格も正反対。彼はアメリカに行った時もひとり外には出てこずに、オレ外人苦手だなんて言っていた。何の為にわざわざアメリカまで行ってライブをやったのだろう?その後、彼は、ストレスで円形脱毛症になっていた。

新しく変わったマネージャーはごますり野郎で、見え見えの嘘をつく。何だか気のどくに思えた。
そのゴタゴタの最中もレコーデイングやライブは続いた。私生活では仲のよかったメンバーも音楽になるとだんまり。シングルの一枚目はタワーレコードはじめ当時の新人にしてはいい感じのセールスだったらしい。二枚目のシングルがTVのタイアップがついて、オレ達もTVに出たりしていた。


Candy [ishii]

この曲は、Charlie Brown&Baseball Teamの曲で、映画監督スパイクリーの感覚ををオレ的に解釈し、想像で作りました。舞台はN.Yのブルックリン。



未発表曲やボツになった音楽達。 [ishii]

朝起きて、朝食を食べ、大須のドトールにいつものようにMacBook Proを持っていき、コーヒーを飲みながら執筆。友達が、このブログにアップした未発表曲やボツになった音源を欲しいとの事でCDRを買い帰宅。
ただいま編集中です。こんな曲を発掘。20代前半に作られ録音された曲。アレンジが時代を感じさせます。サイズの問題で全部は聴けません。すんません。

東京 (続編)(バンドなのかソロなのか) [ishii]

まだ眠いなぁ。さーてと続きを書こう。バンドなのかソロなのかというところまで行った。
ライブもダンボールにmy name is understatmentsと書いた飾り付けをした。
プレイはまだまだだったが、オレが雰囲気で新しい何かを手作りで表現したいと思っていた。

事務所が決まりかけたときから、オレ対3人のおかしな関係が始まった。
まず、高野君に言われた。これからはアーテスト、イシイ君として付き合って行きます。
シューヘイ君はまだBMGと契約があるとの事で曖昧なスタンスでいた。
ヨネちゃんはよく覚えていない。

スタジオの帰りに3人がこそこそと話していた。
オレが何々?と訪ねると、イシイ君は知らなくていいよとの事。
このおかしな関係のまま、一番お金の持っている事務所と契約した。

事実上アーテスト契約したのはオレだけで、他の3人は本人達の意思で別の契約の形をとった。
まず、最初のストレス。オレは当時リハに入って音楽を作るのが好きだったが、わざわざマネージャーを通さなければリハにすら入れない。それまで気楽にリハに入っていたのに、オレは何のためにこの事務所と契約したのかわからなくなってきた。

お金の問題だった。
リハーサルに入るにも彼らに支払うギャラが必要で、オレみたいに給料という形ではなかったからだ。
オレが身銭きるからスタジオに入ろうと言うと、それは無理だとメンバーに言われた。
シューヘイ君が言った。イシイ君には悪いが、オレはあいつらのために(事務所)ただ働きしたくない。

とりあえずシングルを二枚作ってアルバムを出そうという事務所の計画だった。
レコーディングが始まった。プリプロで試しにバンドでDiscoを録ったが、これがまた酷い内容になった。
これはまずいと思い、オレは朝倉君にプロデュースを頼んだ。

朝倉ミツヒロとはなんぞやという人も多いと思うので、軽く紹介しておこう。
海外でも評価の高いサロンミュージックでドラムを叩き、バンドはもちろん、ソロ、CM、若手の音楽プロデュースなどで活躍してる素晴らしい音楽家だ。オレが朝倉君のやっていた音楽、シルバーフィンズというバンドとソロアルバムがお気に入りで、偶然シャーベッツの福士さんの知り合いだったので紹介してもらった。

朝倉君の登場でレコーディングはスムーズに進んだ。
オレには曲のアイディアがあったし、あとはテクニカルなところとディテールのサポートだけだった。
他の3人のメンバーはオレが何をしたいか、どんな音楽がその当時やりたかったなんて、たぶん、ちんぷんかんぷんだったと思う。あいつら解ってないから、もう2人で作ろうと、朝倉君に言われた。そんな感じで良くも悪くも1stが作られて行く。

ライブの方はというと月に1〜2本程度やっていた。クボケン君の計らいでリキッドルームの店長さんがライブを観に来てくれて、リキッドルームで2〜3回ライブをやる。渋谷クワトロや、名古屋クワトロ、後ホームグラウンドとなる下北沢Club Queなどでライブをやる。当時の下北沢Club Queは人気のある小屋で、なかなか普通のバンドは出られないのだが、店長の二位さんが気に入ってくれてブッキングをしてくれた。二位さん本当にありがとうございます!その後、大阪で一本ライブがあり、アメリカはテキサスのオースティンSWS、N.Yと言うわけのわからないツアーに出る。大阪は当時人気のあるラジオ番組があって、そのラジオ番組でヘビーローテーションされれば必ず売れるという逸話があり、どうやらそのラジオ番組のスタッフが気に入ってくれているらしいとの事でライブをやったんだけど、オレがもうイライラしていて途中でFxxx!の言葉を吐いてやめた。その後、ツアーも一緒に同行した朝倉君にFxxxだけはやめろとなだねられ、ムカついてもLoveと言えといわれ、アメリカ行きの飛行機に乗った。

アメリカでは楽しく過ごせた。
ライブもそれなりでサインを初めてねだられ、外人さん相手に何か忍者とか書いてた気がする。(笑)
そして何よりも一番嬉しかったのはオレが当時ファンだったN.Yのアーテイスト、モールティピーチーズと共演したことだ。オレはライブを観てすぐに楽屋に行き、物販で買ったTシャツを持って行きブロークンな英語でサマーソニックに来たでしょ?オレは観れなかったけどキミ等の音楽は大好きだと伝え、サインをもらい握手をしハグをした。
N.Yでは音がでかすぎると近所からクレーム。何かしょっぽい音でライブをやった気がする。
日本に帰国してから、オレと事務所とバンドの関係はもうめちゃくちゃになっていった。






東京(続編パート2) [ishii]

いやー、文書を書く時の出だしで、その文書が変わってくる。とりあえずオムニバスを出す所までは書いた。その後だが、オムニバス発売記念のライブがあるとの事で、福士さんなんかにライブをやれって話になり、正直オレは困った。メンバーもいないし、ライブの想定などしていなかった。

ある日シューヘイ君にそのいきさつを話すと、ライブをやろうやろうととても積極的だった。
メンバーはドラムにヨネちゃん、キーボードは高野君、ベースはシューヘイ君だ。
ESPの学校のスタジオを無料で借りて、とりあえず音を出してみた。正直とても良いサウンドとは言えなかった。

シューヘイ君は音楽より自分たちのビジュアルをビデオに録る事に必死だった。(笑)
当時、高野君のプレイは適当だったし、シューヘイ君もギターリストで、ベースの意味をわかっていなかったし、ヨネちゃんはでたらめにアホみたいなプレイをしていた。シューヘイ君の家に行きそのビデオをチェックする。いやー何とも滑稽な姿だったが、ある意味面白かった。(笑)ビジュアル系みたいにプレイするシューヘイ君、高野君もヨネちゃんも適当に楽器を奏でている。オレはというと一人下を向いてプレイしていた。これはシュールだと思ったし、ある意味BECKだなと思った。

そのオムニバスのライブをやる前に下北沢で一本ライブをやることになった。
SAの大成君やいろんな友達が遊びに来てくれた。ライブは成功か失敗かなんてもうどうでもいい。
ただ評判はよかった。バンド名はsをつけてunderstatementsとなった。

さぁ、次はオムニバス発売記念のライブだ。
これもたくさんのオーデエンスのおかげでいい感じの雰囲気でライブが出来た。
その時に居合わせたのが世界的ロックカメラマンでありジャーナリストでもあるクボケン君だった。
クボケン君がリキッドルームのコラムに日本人初として絶賛の記事を書いてくれた。嬉しかったなー。

その後SAの大成君の主催するイベントに出たり少しずつだがライブをやるようになる。
そんな時ベンジーさんのセクシーストーンレコードでやらないかという話や、とあるビジュアル系のバンドで稼いでいた某音楽事務所から好条件での契約のオファーが来た。福士さんやいろんな人に相談するとお金がある会社と契約しろとの事。フルタイムのバンドでもない、でっち上げのバンドだったので正直困ったがが話は聞きに行った。ベンジーさんの所でやるのはオレ的にもNGだった。ベンジーさんがプロデュースをやる的な話だったし、自由にやれないと思った。ビジュアル系の事務所の方はお金はあったが音楽を愛していないと思い最初は断っていた。しかし、そこの社長が、事務所がつぶれてお金がが無くなってでも、土方をしキミを支えると言い、少しづつ気持ちは傾いた。

オレも条件を出した。まず、海外でやらせてもらう事だ。もちろんOKですとの返事。
さぁーてと、ここから複雑になって行くのだが、ソロなのか、バンドなのかという事だ...。


Random Thoughts ー心の向くままにー

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JUKE JOINT PART2